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KOICHIRO

INTERFACEは最初にして最後のコンセプトアルバム。「Intle escape point」曲のタイトルの太字を繋げるとこんな意味が隠されていて(隠してはいないかw)全員が同じ方向を向いて作った。
歌詞についても「Blind Venus」からの流れで「解放」というテーマをもとに書き下ろした。ユウジの脱退があり「Mother」「Blind Venus」2枚のシングルの経て到達した答えだったように思う。

さて2度目となるロンドンレコーディング、Peahが作ったこの曲は一番最後に歌ったかな!?コンセプトアルバムなので、歌詞にも統一感が必要と考え、全体的に「空」をイメージさせる歌詞になっている。当時の僕には歌詞に統一感を持たせるのは大変な作業だった。自分で課した事の重圧に押しつぶされそうになりながら書いていたが、そこはやはりバンド!みんなに救われながら書き終える事ができた。この歌詞に出てくる「燃え尽きていく星のように」文字通り歌入れ終了時には燃え尽きていた・・・orz


MIYO-KEN

93年夏の終わりに渡英。

前年に続き2度目なので、準備等の混乱は無かったように思う。
今回は収録曲も出揃っていて、満を侍してのフライト。
飛行機はJALだったので「Beef or Chicken ?」的なものはなく、「お肉、お魚何方にしますう?」的な聞き慣れたものだった。前回同様、機内ではタダという事につけこんで、ワイン、ウイスキー片っ端から浴びる様に飲んでいたと思うw
気圧の影響で酔いが回るのもめちゃ早い、、そうなったら寝れば良いだけなのだが。
タバコも吸えたし、おおらかな時代だっと改めて思ったり。

ヒースロー空港に着いて、コーディネーターさんのお出迎えを受けまっすぐスタジオに直行したのかな、あれフラットだったっけ?んー、思い出せない、、
その晩は親睦の意味も兼ねて、録りをお願いするリチャード・ノリス氏とコーディネーターさんと食事に出かけた。あれ?どうだったかな?ほんとに行った?俺、勝手に話作ってるかもw

宿泊はスタジオから徒歩圏内のフラットで共同生活。

場所はキルバーン、当時IRAによるテロ事件が多発してた地域。

翌日からはジェットラグと戦いながらも順調にレコーディングスタート。

無事に数曲分のシーケンスデータをテープに流し込んで初日は無事終了。


OKAZAKI

ペーちゃんの曲。やはり彼の曲はハッピーで良い。ベース音は忘れた。16分音符のシンセはJD-800。バスドラムはTR-909のサンプリングと違う音色のサンプリングをミックスしている。スネアはTR-909の音からさらに進化したくて試行錯誤していた頃なので色々な音色をミックスし過ぎてひとつひとつの音色の記憶がない。
ロンドンに行って思ったことだが電圧の違いで音が変わることを実感したことがある。それはシンセでの事だ、日本でプログラムしていると高音部などが強くて歪んでしまったりしていた音色が、ロンドンへ持って行くと全く歪まないのである。メモリーカードは当然日本でセーブしてソレを持って行き、ロンドンでレンタルしたJD-800に入れリコール。するとどうだろう全く歪みがないのである。ギターアンプでもその様な事をMIYO-KENは言っていた。


DJ PEAH

曲を作ったときはシンセピアノの音色だけでメロディのせて作った。曲が選ばれてからは、LIVEスタジオでセッションし、それぞれのパートでアレンジが始まり、土台ができてLONDONへ持っていった。サードアルバムは約二カ月のレコーディングで完成に至る。日本のLIVEスタジオでよく食べた、お肉屋さんの弁当(カレー)の味が忘れられない。