TALK ABOUT…MUSIC #01

KOICHIRO

オーディオマニアの父に最初に買ってもらったレコードは「黒ネコのタンゴ」。歌うのが楽しかった最初の記憶だ。小さい頃のフェイバリットソングは特撮ヒーローものばかり、小学校に通う道を歌いながら歩くのが毎日の日課であり楽しみだった。その中でも特に気に入っていたのは、スーパーロボットマッハバロンのOP!今聴いてもかっこいいロックンロール!そしてシンセサウンドも素晴らしい!

11~12歳の頃、父のステレオから流れてきた冨田勲氏のレコード(アルバムは覚えていない)を聞いた時、今までに聞いた事のなかったスペーシーなシンセサウンドに高揚した。
それから程なくしてYMOを聴いた。キラキラしたシンセサウンドにワクワクが止まらなかったのと同時に歌が無い曲を初めて好きになった。

中学生になるとPUNKやNEW WAVE、日本では東京ロッカーズ、めんたいロックなんかも聞いた。バスケットボール部に入っていたが途中から、髪は立てる!TシャツはナイキからSEX PISTOLSに!とヤンキー全盛期の時代に違う意味で目立っていたw

高校生になるとギターを買った!本当はシンセが欲しかったが、その頃のシンセは簡単に買えるような値段じゃなかったって理由。


MIYO-KEN

幼い頃から音楽は身近にあったと思う。父方の祖父が音楽好きだったこともあり(かなり昔の話だが映画になる前の活動写真の時代に、弁士(ナレーション担当)の隣で音楽を奏でる役(BGM担当)でバイオリンを弾いていた。田舎では向かう所敵なしで一旗揚げようと上京したのだが、すごい演奏家が多くてすごすごと引きあげたらしいw)、バイオリン、チェロ、トロンボーン、ピアノ、尺八など沢山の楽器があった。父は嗜む程度だったが、クラッシックや古賀正男全集などのレコードを聴いていたように記憶している。

僕も幼稚園に入る前か後か定かではないが「東京子供倶楽部」なるレコード(確か毎月LPレコード1枚が郵送されて来た。内容はグリム童話などを子供でも理解しやすいように噛み砕いたお話とお歌だったと思う。あれ? EP? ソノシート? と、絵本か?今に残っていれば貴重な資料だが、家を新築する際に母が捨ててしまった。。)やアニメ主題歌大全集などを聴いていた。人気雑誌の「昭和40年男」の読者なら言わずもがな、な「赤き血のイレブン」「リボンの騎士」「キックの鬼」「マッハゴーゴー」など当時の人気アニメの曲が収録されていた。

当時のステレオはというと、というか家電全般に当て嵌まるのだろうが、家具調の馬鹿でかい物が主流だった。現在のなんでもコンパクトに作る風潮とは真逆で、どうなんだろう、当時の大都市の住宅事情とかにはマッチ(死語)してたのかな??テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器と言われた時代の少し後だったと思う。

そんなステレオの前で、買ってもらったレコードを開封してまずはアニメキャラが描かれているインナーを飽きるまで眺め、次に盤を取り出しターンテーブルにセット。家にあったステレオはフルオートでは無く、針を落とす時は手動だった。この歳になってもこのアクションは緊張するしワクワク感も半端ない訳だから、子供ながらにテレビではワンコーラスしか流れない歌をフル尺で聴けると言う事に最高の幸せを感じていたのだった。それに飽きると回転数(33、45、78回転。これらを変えると当然の事ながら再生速度と音程がかわる)を変えて早口で歌ってみたり。余談だが、初めてサンプラーを触った時にこの時の記憶が蘇ったw(発売当初のサンプラーは理屈的に同じ)

そんな幼少期のアイドルはもう断トツで麻丘めぐみ!!
今でも年に4回は決まって「めぐみブーム」がやって来てはYouTubeで同じ映像を見ているw
お箸を左手で持つ人を左利きって知ったのは彼女の曲「わたしの彼は左きき」から。曲中にコーヒーを飲む描写は出てくるけどお箸は出てこないよ。「♫意地悪 意地悪なの~」って箇所があって、所謂サビのピークなんだけど、平仮名にするとこんな感じで、「♫いじぃ~っ、わるぅ~っ、いぃ~じぃ~わぁ~るぅなぁのぉ♡」、、もう今でも悶絶w。
えっ、気持ち悪い? いやいやみんなあるでしょ? 特に男子はね、こういうのw。
「芽ばえ」「女の子なんだもん」も名曲です。現在はこの2曲の様な内容のものを総じて「喪失歌謡」と呼ばれるらしいよw。ま、言ったもん勝ちなネーミングだけどな。。

しっかし中学出たての女子に歌わせっか?w 山口百恵の「ひと夏の経験」もそうだけど、当時の歌謡曲エグイわw。最近だと、ん、最近でもないか、スピードくらいでしょ?子供にエロい事歌わせたのってw。

この頃聴いたものって嫌でも自分の血肉になってんだろうな。
麻丘めぐみが血肉ってのも嬉しいやら恥ずかしいやら、なんかいやらしいww。

かっこいいやつは山本リンダ、フィンガー5とかでさ、バリバリの16ビートでめちゃ跳ねまくってる曲ね。

ピンクレディーの登場はもうちょい後。

今回はここまで、次回に続くー!


OKAZAKI

まだ物心がつく前からポータブルレコードプレイヤーを与えられていたんだ。
持っていたレコードと言えば子供向けのアニメやヒーロー者のテーマ曲のオムニバスレコード1枚とおまけについて来たソノシートレコード数枚だった。朝から晩までオモチャと言う感覚でずっと聞いていた♫いや、かけていた。
確か…鉄腕アトムやウルトラマン、オバケのQ太郎、ゲゲゲの鬼太郎等々が収録されていた。
2歳~4歳くらいのことだったかな?
先ずコレが音楽とのはじめての出会いな感じ^_^

幼稚園、小学校と音楽の時間は好きだった。
中学生になって吹奏楽部に入部するも「アレレ?マジメじゃん」ってなって夏休み前に退部しちゃった(^_^;)
その後はバスケ🏀 部に入ってた(笑)

音楽の授業もベートーヴェンとかの歴史の事になった途端にダメになっちゃって、中3の時に仲良かった友達からバンドやるんだけどって誘われて、でも何のパート演るかは決まってないの(笑)それで放課後に誰もいなくなった音楽室に行ってみんなで「せーの!!」ってオレの掴んだのがスティックだったって感じではじまったのがThe Beatlesのコピーバンドだった♫

そこからがなんだか毎日が楽しくて楽しくてしょうがない日々がはじまったのかな^_^
The Beatlesがすんなり入って来たのは、やはり小さい時に親にエルビスプレスリーやポールアンカなど50’sを聞かされていたのもあって曲の構成や展開などが違和感なくスムーズに入ってきたのは記憶にある。
あ、そうそうThe Beatlesを知った時にはもう解散してた…(先日、SNSでもM-AGEを知った時には解散していた…ってあったね)(T . T)


DJ PEAH

子供の頃を話します。ませてきたのは中学生くらいから、小学生からやっていた柔道を中学に入っても続けた。柔道部部長でしたので責任がありましたね。また地方出身だったのでヤンキーが多かったんですが、同世代にはいませんでした。2年先輩の代がピークでしたね。ヤンキーとは常に平行線でした。ませていたためよく目をつけられていましたね。たまに柔道部室にヤンキーが来て勝負を申し出てくる先輩もいました。今思えばそれって友好的な交流じゃないか!?と思えてきます。

中学3年生くらいになると髪の毛も坊主から長髪に変わり(IBカット、テクノカット)整髪料を使い始めました(実家美容室だった為)当時学校ではタブーでしたね。そして今度は先生に目を付けられるという。もちろんタバコは吸いませんでした。