TALK ABOUT…WALK ON THE MOON (DEMO)

KOICHIRO

1時間、何十万ってするビクターの401スタジオでの、初レコーディングとなった。聞いて貰えれば分かる通り、最初の段階だと4Pのバンドサウンド寄り 。音的には、まだまだ発展途上だけど勢いだけはある。実質このDEMOのお陰でデビューにこぎ着けたのは言うまでもない。
この頃は事務所とレコード会社の話がかみ合ってなくて、大人の事情を垣間見た瞬間でもあった。DJ上がりでお洒落な事務所の社長とサングラスに無精髭、ビクターのディレクターだった田中さん、どちらも胡散臭さは五分だったw

かっちゃんへのコメ返
え?あのOberheimってスチュワートのだったの!?しかもフランキー!?今の今まで知らなかった;みんなの解説つなぎ合わせると色々と謎が解けてくるwミヨケンの話を含めwww


MIYO-KEN

話は前後するけど、デビューが決まりかけてダメ押しで社内プレゼン用にデモを録る事になった。

通常はメーカーの方々がライブを見て「オッケー!契約しよう。」とか「ん~、いまいち」とか判断するものだが、俺らの場合はかなり特殊なだった。ブックレットでも書いているが、いち無名バンドではそれを再現する資金、機材、そして時間も圧倒的に無かった。

説明したところでディレクターの田中さん以外は、皆???の連続で知らない言語空間に放り出された感覚だったと思う。30年前だしw

そんな中、社内のお偉いさん、制作、宣伝、営業みんな引括めて
「どうよ、これ?やばくね??」的なムードを社内に充満させようとの意図もあったはずw。
勿論、音源がなきゃ契約も出来なかったんだけどね。

結果、功を奏し順風満帆に見える船出をしたわけだが、、
世の中そう甘くはなかった。。。


OKAZAKI

Call Meのレコーディングからすぐにメジャーデビューへ向けてプレゼンの為に行われた。ビクタースタジオの開かずの間で有名な一番大きなスタジオで(偶然空いていた)行われた。
AKAI S-1100はその時のエンジニアさんの所有物だったが使わせて頂いた。「なんて機材なんだ!」って思った。これならなんでも出来ると全員が思った。
生ドラム。一生懸命に叩いているww。Koichiroの歌に勢いがあって好きだ。横ちゃんフル稼働。


DJ PEAH

このDEMOが残っていたのが奇跡。皆これを聴いたときニヤニヤしていた。