TALK ABOUT…MUSIC #03

KOICHIRO

そして現在、様々な出会いや別れ、そして色々な事を経験し、みんな大分大人になってたw
こうやって始めてみると、そこには変わらないメンバーがいて当たり前の音を出している。

僕は昔から自分の声が嫌いだった。僕の好きなボーカリストはみんな低音が出るボーカリストばかりだったからだ。だけど再結成していざ歌ってみると、そこには誰かに憧れを抱いていた自分はいない。さすがに自分の声に諦めがついたのか、後はどこまで自分らしく歌えるか?そんな事ばかり考えながら歌っている。そして最高に楽しいです。喉の問題もあるけど今は出来る限り続けたいと思ってます。


MIYO-KEN

12歳の冬にギター(アコースティック)を手にしてからは、掌を返したように野球には1ミリの興味も無くなってしまった。それまでは高田繁(ジャイアンツの名選手。第一期長嶋監督時代にレフトからサードにコンバートされて話題になった)の青いミズノの指出しグローブが欲しい物リストのナンバーワンだったのに、それは100位圏外に消えてトップ10入りしたのはギターに関する物、聴きたいレコード、と、少しばかりのエッチな本だった(まだまだ可愛いもので、「けっこう仮面」で喜んでいた。注釈付けたいけど興味ある人は調べて下さい。永井豪の傑作で実写で映画にもなってます)w。

小6で同じクラスだった清水君は僕より半年ほどギターを弾き始めたのが早く(後にバリバリのヤンキーになってバイクに乗るのも、事故るのも、結婚するのも、起業するのも早かった。僕のデビュー後に実家に訪ねて来て母に名刺を置いていったっけ、その裏には頑張っての一言が添えてあった。嬉しかったよー。後にも先にもギターを教わったのは彼だけかもw。元気かな?)、少しだけ年の離れたお姉さんがいて、彼女の影響だと思うが小6ながら井上陽水、かぐや姫、吉田拓郎、グレープなどを聴いていて、それらの曲をギターを弾きながら僕に歌ってくれた。いやいやめちゃすげ~ってなったよ、こっちは始めたばっかりでAmとEmしか知らないのに、Fまで押さえてアルペジオやスリーフィンガーでやるんだからさ!!

そんな彼とは中学は別々になって、さほど会うこともなく(会うのは野球の大会くらい。当時の田舎の中学は何かしらの運動部に入るのが暗黙の掟の様な風潮があった。僕も彼も野球部を選択)、テレビやラジオ、雑誌などから情報を得てギターと歌wの練習に励んだ。
グレープ解散後のさだまさし、長渕剛(当時は今の風貌からは想像できないくらいの好青年的ルックスw)などアコースティックギターがフューチャーされた音を聴いていた。

長渕剛の名曲「夏祭り」が弾けるようになるまでには相当な練習が必要だった。右手の爪を伸ばし、野球部の監督に怒られながらも(ボールを投げるので生爪を剥がす等の怪我する確率が高くなるため御法度)、それこそ左手の指から血が滲む位の練習をした。「好きこそものの上手なれ」ってことわざあるけど、自分で言うのもなんだが、まさしくこれを体現してたと思う。指が痛くても全然苦にならなかったし、多分この時が練習量的にはMAXだったんだろうなw。

今でもさだまさしは好きで、「朝までさだまさし」(NHKの番組)とか見るよw。
「まほろば」って曲があって、歌詞も歌唱もめちゃ凄いのでYouTube等で見て頂ければ。
是非ライブバージョンで!!

アコースティックな流れでフォークな話だったけどw、いつかはエレキって気持ちも持ち続けていて、ツイストはずっと僕のアイドルだった。アルバム、シングルは全部持っていたし、水戸の県民文化センター(後にM-AGEもここでライブをやる事になる)までライブを見に行ったり、先日、全曲解説のMOTHERでも話したけど、日立市民会館で渡辺香津美を見たり。

坊主頭にアディダスのウインドブレーカー(かなり古い呼び名w)を着たド田舎の少年にとって、ステージに立つ人たちは、それはもう雲の上どころか、地球外生命体ってくらいに何億光年も遥か彼方の異次元の住人であって、瞬きをするのも惜しむくらい彼らの一挙手一投足をガン見していた。

とはいえエレキを手に入れるのは高校に入ってからの話で、そんなエレキギターなる代物は、毬栗頭の中坊脳内で強い憧れとともに、ジュラ紀の恐竜のごとく、こんな感じで有ろう的な想像上のモノでしかなかった。

こんなエピソードも。ツイストの歌本(一応楽譜になっていてコードやギターソロが採譜されている)を手に入れジャガジャガやっていたのだが、どうにも飽き足らず事もあろうかアコースティックでエレキのソロを弾いてみようと、かなり背伸びをした挑戦を試みた。
フレーズを口ずさめる位にレコードを聴き込んでいたので、エアギター的にはバッチリだったし、自分の弾けている姿の脳内変換も100%完了済み。

しかーし、譜面には音楽記号にはない謎のアルファベットが、、???? えっ、なにこれ、cho??、やたらと出てくるんだけど。

なんてことはないただのチョーキング(弦を指板上で押し上げて音程を上げるテクニック)なのだがアコースティックしか弾いたことがない中坊にとっては未知との遭遇であった。
弦の太さがエレキとアコースティックではまるで違うという事すら全くもって知る由もないわけで(弦が細ければ細いほど容易になる)、めちゃ太い弦でチョーキングの真似事をし、自分の弾けている姿の脳内変換、ほんの2%も達成できなかったのは言うまでもない。

この時思った事。プロは指の力も一流でなくてはならない!!
どんな練習をすれば指力が強くなるのか? 生まれつき俺の指力は弱いんじゃないのか?

いやいや、マジで悩んだww。

エレキを手に入れて初めてチョーキングした時にマイケルシェンカー(2音半チョーキングとか平気で速弾きに盛り込んでくるスーパーレジェンドギタリスト。白黒ツートーンのフライングVでお馴染み)並みに音程が上がった事は想像に難なくないw。

ダメだ、3回じゃ書き切れないや笑。

まだ洋楽と出会ってないし、中学も2年生位の話だ。。

またの機会に話の続きをしよう。皆さん興味があればの話だが笑。


OKAZAKI

ん?…いやいや!
先日言った色々な誘惑の中に幼馴染だったkoichiroから今度バンドやるんだけど演らないか?と誘われて、それからは日本のロックではザロッカーズやルースターズ、BOOWY、海外ではThe Rolling StonesやDAVID BOWIEなどにドップリハマっていった。
オレの家が練習場所だった♫

それからはみなさんご存知のM-AGEになっていくわけです♫

ということで自分が影響を受けた作品のご紹介で御座います♪♪
01.The Beatles/With The Beatles
02.The Rolling Stones/Love You Live
03.BOOWY/INSTANT LOVE
04.The Roosters/The Roosters
05.The Beatles/The Beatles(White Album)

まだまだお気に入り作品が沢山ありますがいつかまたご紹介出来ればと思います~♫


DJ PEAH

最初は先輩のミキサーを譲ってもらい、家にあるプレイヤーを使って DJプレイ、テクニクスのプレーヤーじゃないので耐久性なし、アルバイトしてお金を貯めて mark2買いましたね。機材がそろってからは毎日触っていました。恋人みたいに・・・。

レコードは2枚買いが当たり前、2倍2倍(高見山大五郎)本当にHIPHOPは金がかかります。 この当時1988年でDJの大会に興味を持ち始めます。DJバトルやDMC大会にも出ました。

そんな中HIPHOP仲間だったユウ・ザ・ロックの紹介で仕事をし、M-AGEのレコーディングに繋がっていきます。

正式メンバーとして加入後は演奏者という立場から、あらゆるジャンルを聴き学ぶようになり好きになったことが多いです。感謝。