TALK ABOUT…MUSIC #04

KOICHIRO

TALK ABOUT…MUSICシリーズを再開するとお達しがあったwので今回は少し細かく書いていこうと思う。
僕がシンセサウンドを好きになったのは、最初に聞いた冨田勲氏とYMOのレコードの影響が非常に大きい。M-AGEを解散した後にシンセを買い漁る事になるとは、この時は露とも知らずw
YMOに出会う前は特撮ヒーローもの、アニメや歌謡曲を普通に聴いていた。いま思い出す限りのヒーローもの、仮面ライダーシリーズ、ウルトラマンシリーズ、人造人間キカイダー、同01、超人バロム1、イナズマン、同フラッシュ、レインボーマン、スパイダーマン(東映版)、解決ズバット、レッドバロン、マッハバロン、ミラーマン、スペクトルマン、シルバー仮面、ファイヤーマン、トリプルファイター、宇宙鉄人キョーダイン、大鉄人ワンセブン、解決ロックバット、、、時系列はめちゃくちゃだけどw
アニメはハンナバーバラもの、デビルマン、マジンガーZ、ゲッターロボ、勇者ライディーン、コンバトラーV、ダイターン3、トライダーG7などなど、これらの主題歌をほぼほぼ歌えたw 朝、学校に通う通学路でこれらの歌を歌いながら学校に通っていた(しかも結構な大声でw)。
当時、音楽と言えば、テレビが主流の時代、歌謡曲を当たり前に聴いてた。ヒーローもの以外で最初に買ったのは渡辺真知子の「唇よ熱く君を語れ」当時、資生堂のCMソングだったこの曲、てんとう虫型のミニレコードプレイヤーが壊れるほど聴いた思い出があるw
歌謡曲で好きだったのは、久保田早紀の「異邦人」、ツイスト「SOPPO」、ゴダイゴ「銀河鉄道999」など、チャーさんに至っては「気絶するほど悩ましい」「闘牛士」この辺が好きだった!
そしてこの頃かな?まだ中学になる前、初めてYMOの「ソリッドステートサバイバル」を聴いて衝撃を受けた!当時はYMOのような音楽を知る術もない時代、ジューシーフルーツとかヒカシュー辺りを同列で聴いていたかな!?

小学生の頃はクリスタルキングの「大都会」って曲の高い声が出ていて、誰にも言わなかったけど、ちょっとした優越感だったwそれが中学生になった頃、急に声が出なくなった…そう声変わりで急に高い声が出なくなったのだ!これも誰にも言わなかったけど、当時は結構ショックだった記憶がある!なんせ昨日まで歌えた歌が歌えなくなるんだから!
まあでも中学生になった頃は他に刺激的な音楽に出会った時期でもあったので簡単に乗り越えた気がするw

そして中学になると他に刺激的な音楽と沢山出会う事になる!一応、バスケ部に入部して練習とか真面目にやってたけど、部活とクラスが一緒な友達と、ある曲がきっかけで仲良くなった。その友達はPUNKやROCKが好きでSEX PISTOLS、The Clash、そしてアナーキー、RC SUCCESSIONなんかを聴いていて、僕が好きな教授と清志郎さんの「い・け・な・いルージュマジック」がきっかけで仲良くなった!でPISTOLSを聴いた時はYMOと同じくらい衝撃だったな!
中学になった頃、髪はテクノカット(要は刈り上げ)にしていたがPUNKを聴いてからは髪を逆立て学校に行った(部活の関係で髪が短いからw)それまでアシックスやチャンピオンのスポーツTシャツ着ていたのに「GOD SAVE THE QEEN」のTEEシャツを着てバスケの試合に行ったりして別の意味で目立つようになったw

不良全盛期の時代だったので目立つと今度はイジメにもあった!今の時代のような陰湿なイジメじゃなかったし、友達も大勢いたから不登校にはならなかったけど、その後、不良達ともロカビリーの話で仲良くなったりしてw
中学時代のエピソードとしては、当時、日本の音楽雑誌に良く掲載されていたJAPAN。
YMOとの交流もあってかアルバム「Quiet Life」では音楽的にもルックス的にもガラリと変わり非常に好きだった・・・けどルックス重視の女子人気が凄まじかったのでJAPANが好きって言えなかったな~ミーハー的に思われるのが嫌で「隠れJAPAN」でしたw
中学時代に聴いたのは、東京ロッカーズ(LIZARD、Friction、S-KEN)、ARB、アナーキー、THE ROCKERS、The Mods、THE ROOSTERS、etc…
洋楽は、SEX PISTOLS、CLASH、David Bowie、JAPAN、U2、DURAN DURAN、The Velvet Underground、THE DOORS、etc…

YMOを聴いて「シンセサイザーに首ったけ」という本を買ってみたものの何が書いてあるのか全く理解できなかった中学時代、シンセは高いという事だけは理解した^^
それがギターに向かう最初の理由だった。


MIYO-KEN

前回はどこまで話したかな?
確か中2位で終わった様な。。
今回も長くなりそうです、、お付き合い下さいませw。

前途したが、この時代はロック御三家(チャー、ツイスト、原田真二)に加えゴダイゴ、甲斐バンド、サザンオールスターズなどが登場し、ヒットチャートを席巻していた。
どのバンドも積極的にTVに出演してくれた。

(甲斐バンドは除いて。『HERO』が腕時計のCMだったかに使われて大ヒットした時にTBSザ・ベストテンに登場した。確かライブ会場からの中継だったと記憶しているのだが、そこで甲斐よしひろ氏は一言。『TBSが勝手にやってきやがって、、』的な発言。いやー、坊主頭の中坊には痺れた一言だったが、そんな事TVで言っちゃっていいの?と思ったのも事実w。)

そんななか、ツイストの『宿無し』『銃爪(ひきがね)』(この時は世良公則&ツイスト)、『燃えろいい女』が大ヒット。
ツイストが出演するTV番組を見逃した日には、本気でガッカリしたものだ。
ビデオデッキが世に出回るのはまだまだ先の話で(これを読んでくださる皆さんはご承知だと思いますがw)再放送でもない限り二度とお目にかかる事はなかった。
現在はYouTubeで当時の歌番組も余裕で視聴することができるし、もしデロリアンが本当にあったならその時代に戻ってノープロブレムと伝えるだろうw。

そんな『銃爪』それはもうイントロのギターリフから背筋がゾクゾクする程の極上ディストーションサウンドだったし、『燃えろ良い女』のダブルネックギターから繰り出される透明な12弦サウンドは、弦高がやたら高いフォークギターしか手にした事のない中坊には『憧れ』以外にぴったりはまる言葉は無かったと思う。
ツイストの太刀川さん、ゴダイゴの浅野さん(去年お亡くなりになられました、、ショックでした)が『燃えろ良い女』、『ガンダーラ』でダブルネックを使用しておられました。

あっ、「ダブルネックってなによ??」て思う方も多いですよね、すみません、説明してなかったですね。
簡単に言うと、ネックが2つあるギター、ってそのままなんですけどw。
もうちょい突っ込むと、片方が12弦、もう片方が6弦で1台で二度美味しいいギターの事です。
ジミー・ペイジで有名なあれです。とはいえ僕の中ではこのお二人なのですが。
どうなんだろう、当時のグレコやアリア(日本が誇るギターブランド)で12弦モデルってあったような気もするが定かではないです。本家は勿論ギブソンのSGダブルネック!

そんなギブソンの代表モデル、レスポールをツイストの松浦善博さん(太刀川さんの脱退後に加入)は多数所有し、ライブでもガンガン使っておられました。僕のゴールドトップ好きは、この時の憧れの延長で僕が現在所有してる2本のレスポール、シングルコイルとハムバッカーのものだけど、何方もゴールドトップ!
勿論僕のは違うけど、1959年に生産されたモデルなどは、当時からめちゃ高価ではありましたが、現在は程度の良いものなら「田園調布に家が建つ!!」って価格です。
えっ、例えが古いって?
すみません、「笑って許して」下さいw。

松浦さんといえばボトルネックギターの名手!
ツイスト『SOPPO』でのスライドプレイを初めてTVで見た時はもう驚いたのなんのって、もうすぐに弦高の高いフォークギターを手に取り台所にいってスライドバーの代わりになるものを物色したくらいw。
とはいえ父はお酒を全く飲まなかったので、ウイスキーの空き瓶などある訳もなく、たとえあったとしても、瓶の口の細いところを切り取る術もない訳で。
そこで僕が発見したのは『?』マークのマジックインキ。この件は前途したかもしれないけど、中身をくり抜いて中指にはめてキュイーンと、うーんめちゃ良い感じ!(フォークギターなので決してギュイーンではない)

ここまではしてやったりで満足だったのが問題発生。

しかも大問題だ。。。

「えっ、中指にはめちゃったらコード弾けないんだけど、、、」
「TVでははめたままでバッキングも弾いてたよな、、、、」
「、、、、プロってすげ~。。。」

今でこそ簡単にネットでちょいちょいと調べられるが、いがぐり頭の中坊がその全容を知ることになるのは、もう少し先の話だ。。

次回に続く。。


OKAZAKI

ということではじまりました♫

えっと…初めて買ってもらったレコードは
「黒猫のタンゴ」です^ ^

前回のお話しでは小さい頃から音楽には
慣れ親しんでいた的なことを書いたと思いますが
ホント時間があるとレコード聞いてました♫(^^;;

カスタネット、タンバリン、リコーダー、アルトリコーダー、合奏会がありその時はアコーディオンを…と音のなるものは全てに興味がありました🎼
もちろんテレビでは歌謡曲全盛期だったのでキャンディーズ、ピンクレディー、中3トリオ、麻丘めぐみ、新御三家……たくさん好きでした^ ^
もうその頃はポータブルレコードプレイヤーはなくなっていて、レコードの存在も忘れてテレビ三昧でした。小5の頃急にまた、レコードが聞きたくなり久保田早紀の「異邦人」とか水谷豊の「カリフォルニアコネクション」とか、小遣いを貯めては買ってました。
その頃流行った田中せいじさんの「ビューティフルサンデー」が、テレビから流れたんだけど海外の方が歌っているバージョンで『アレレ?この曲は日本の曲じゃなかったの?』って知り、意外とカルチャーショックな感じになりました(^_^;)
それからは、どんどん洋楽と言われる海外の曲に興味がわいていった気がします。
そんな中(コレも以前のコラムに書かせてもらったが)The Beatlesのコピーバンドに、誘われてドラムを始めたんですぅ🥁
その時、既にThe Beatlesは解散していました。
なのでオレは、後追いで楽曲を知るわけです♫
最初は誰がポールで、誰がジョンなんて訳も分からず聞いていたのでした。
何度も何度も聞く…するとどうだろう?
『この曲はさっきの曲とリードボーカルの人が違う!』なんてわかってきたりして楽しかったぁ♫

あ、ちょっと自分の音楽人生でもう一つ深い関わりのあるエピソードがあったのを思い出したので少し戻らせて頂きますね(^_^;)

小5の時、とても胸キュンな思い出がありました。
春休みに親戚の家に行った時のこと…
従兄弟に連れられて、遊びに行ったらグループデート☆だったぁ(o^^o)
その時、初対面のオレに気遣いしてくれた女性たち全ての方々に惚れた…笑
帰りに、そのお友達の中の1人のお家にお邪魔する事になり、紅茶を頂きみんなで雑談していると音楽が流れてきた♫初めて聞く歌声と楽曲!
オレは直ぐに「これ誰?♫」って聞いた。
すると彼は「まっとーやゆみ」って言った。
『ん??今なんて言ったのかなぁ』でも聞き返すのも申し訳なぁい雰囲気だったので「まっとーやゆみね!」って返した💦
実家に帰っても、グループデートの思い出と「まっとーやゆみ」の曲が耳から離れない…居ても立っても居られなくなり、従兄弟に電話してお友達の家の電話番号を聞いた。そしてアルバムタイトルと、今一度アーティスト名を聞こうと電話したのだった。
すると「まっとーやゆみのアルバムだよ♫」って教えてくれた♫
でもまた聞いてみた「まっとーやゆみのアルバムだよ♫」って繰り返しの返事だった…(・_・;
ちゃんと聞いておかないと、この後でレコード屋さんに行って購入出来ない!と思ってので勇気を振り絞って「ごめんね、今メモしながら書いてるからゆっくり言ってもらえる?」って言った。そしたら「まつとうや ゆみ」の「アルバム」ってタイトルのアルバムってことがわかった。
急いでレコード店へ行き買った。内容は言うまでもなく最高だった♫
このアルバムは、荒井由実から松任谷由実になる時に記念されて作られたベストアルバムだった。
聞けば聞くほど甘酸っぱく、胸の奥がキュンとなる作品集です。もちろん今でも聞いています。
「卒業写真」や「中央フリーウェイ」等が収録されている。
小5のオレはなんか物凄く成長した感じがした笑

その時テレビで良く流れていた曲はキャンディーズの春一番だった♫


DJ PEAH

いやーまた始まりました。本当に過去の話苦手なんですよ。赤っ恥かいたエピソードばかりでね。地味なDJを貫きたい!なんてね。。

当時は携帯もない時代、小、中学生の暇潰しはTVがメインでした。そこで流れてくるのが、60年代70年代歌謡曲だったり、よく見たアニメ主題歌が頭にある中、自宅姉の部屋から聴こえてくる音楽に最初は影響をうけました。

長女姉はTSUBAKI HOUSEに通っていたためか、ニューウェーブにはまってましたね。次女姉はロカビリー族でしたので、また聴く曲も違いました。
そんなこんなで、私も成長していきました。よく通っていたブティック(オゾンコミュニティ、デプト)の店内で流れていた音楽(MIXテープ)を店員にもらってからというものDJを知る。
この辺りは以前シンコーミュージックから発売したM-AGE MIXにて話してますので是非。
MIXテープですが、その中身というとパンクロック、レゲエ、スカ、ファンク、ヒップホップ、1つのテープに凝縮されてました。
国内ではMELON.TINY-PANX.いとうせいこうをよく聴いていましたし、DJセレクトチョイスしていました。私にとってヒップホップサウンドが一番フレッシュで入ってきた時で、今でもリスペクトしています。

Eric B & Rakim . PE . LL.Cool J . ColdCut . RUN DMC .
耳にたこができるほど聴いていた。

これ以上のサウンドはないくらいな気持ちでしたよ。
なんなんだろうね。サンプリングなのかな?生楽器や生声で表現できないサウンドがとにかく斬新でした。
今でもその表現を活かせればと思いながら作成しております。今ではあからさまにはできませんけれど、ダブな手法で活かしたいものです。