TALK ABOUT

TALK ABOUT…CRISIS

KOICHIRO

ファーストアルバムでは生ドラムって3曲位?バンドのドラマーなのにドラムを叩かなくても成立できたのは、当時かっちゃん位じゃないかな?そんなかっちゃんの生ドラム曲。
歌詞についてcrisisとwonderはなんの説明もいらない位ストレートな内容になってます。
この曲は「欲望」とか「危機」がテーマ。恥ずかしい位に青いですが、歌詞の書き方についても模索してる頃でした。ライブではテンポが遅い違うバージョンも存在した。


MIYO-KEN

メンバー誰ひとりマルチトラックレコーダーとか持ってる分けもなく(4トラック、カセット)デモテープはエレキギターをシャカシャカ弾きながらラジカセに録音する原始的なものだった。
住宅事情的にアコギなんぞはもってのほか。ものすごくシンプルなシロモノだったが、夢と情熱は溢れるほどに詰まっていた!それらのテープを持ってスタッフ含めてミーティングを重ねて収録曲を決めていった。そういったものから想像力をマックスまであげて、仕上がりを見据えていたわけだ。

そこまでできるディレクターって今の世の中相当少ないと思うな。

オケ、歌、80%完成されてるデモだったらそこそこの知識と経験があれば誰でも判断できると思うけど。べつにディスってる訳じゃなくw

CRISISとは全然関係ない話。


OKAZAKI

100%生ドラム。他の曲とは違い打ち込み間奏にちょっぴりあるくらい。Liveを意識したのだろうか…。
それとも打ち込みだけでは無いんだオレたちは!って訴えたかったのか…笑
この曲があったので[Back to Back]は3Remix +1に収録されたという記憶。


DJ PEAH

レコーディング時D. かっちゃんがドラム叩いてるのを思い出します。この当時からクリック聞きながらだもんね。この時スタジオでサンマ定食をよく食べました。梶原さんが魚を上手に食べていたのが印象深い。

TALK ABOUT…MIND WAR

KOICHIRO

作っている段階から4つ打ちのハウスやEBMを意識していた。僕とマニピュレーターの横山君でリズムトラックを作り、初めてみんなに聞かせた時の、微妙な表情は今でも忘れられないw
そんな心配を他所にミヨケンのギターリフ、リズムループの多用で全ての不安を払拭できた。アルバムではいいフックになったと思う。この頃には明確に909、808のサンプルを使うようになった。アナログシンセを使ったベース音をリアンプし単なる打ち込みにならなかったのは流石、比留間さん!!今だから言いますが 僕はムーグのベース音が嫌いですw
喉を痛め復活した直後にレコーディングした曲。生まれて 初めて声が全くでないって経験をした。医者には「口も聞くな」と言われ、相当ショックを受けたし、プレッシャーも重くのしかかってきた。元々、葛藤がテーマの詩だったけど、喉を痛めた事により重みが増した気がする。


MIYO-KEN

デビューが決まりいろいろな打ち合わせがあって日々忙しくなっていったのだが、そういった日は必ず飲みに連れていってもらった。
その中のひとつのお店が原宿のハーフムーン。(現在も営業中)
そこで食べた缶詰が今も忘れられない。恐るべし味覚の記憶w
熊缶、トド缶、etc、、なかでも熊缶が強烈だった、、中身の半分は生姜、、想像できるよね?
翌日のゲーセンのバイト、死んでた思い出。

この曲のギターリフは現場でぱっと出てきた。良きリフ!

MIND WARとはほぼ関係ない話。


OKAZAKI

ドラムは100%打ち込み。TR808、TR909をサンプラーで。
この曲は自分のリズムパターンというより横ちゃんとKoichiroがテクノ好きで意気投合したので、それならその方が絶対にカッコいいものが出来ると進んでいった記憶。
イントロのプリープ音はネタは忘れたがサンプリングルーブ。この辺りからかサンプルリズムネタ等で[Meat Beat Manifesto]の作品から拝借したものも出てくる。
シンセベースは横ちゃん所有のMini Moogである。かなり硬派な音色で個人的も好き。


DJ PEAH

MINIMOOGベースがが心地よいELECTRONIC BODYな曲、 Vo コーちゃんの得意分野ですね。横山和俊氏のシンセが完璧です。またチョイスしたブレイクビーツもベストマッチ。

TALK ABOUT…SILENT FEARS

KOICHIRO

アルバムの一曲目に相応しい曲。全てを飲み込む破壊力のあるギターとノイズサンプルの嵐。そして実は抑揚のあるメロディーラインは実にミヨケンらしい 。残念だったのはミヨケンが書いてきた歌詞のメモが汚くて読めなかったことw当時の歌詞は全て手書き。奇しくも今の時代にあった歌詞のように思う。


MIYO-KEN

たいした機材を持ってるわけもなく、アンプ等はレンタルしてもらっていた。
当時Hook Upにいた峰守さん(現MASTER TONE、数々の有名アーティストのレコーディングをサポート。この世界では知らない人はモグリ)にいろんなアンプを持ってきて頂いた。

その後購入する事になるのだが、そのアンプはプリ管をマーシャル、ソルダーノ、メサブギーとサウンドのキャラに分けてチョイス出来て、ループも何系統かあってそれらをプログラムできるというかなり自由度が高いものだった。この曲ではソルダーノタイプを使用したと思う。

ギターは以前から使用していたシェクターのストラト(アンディーテイラーモデル、デュランデュランw)を使用。シェクターは今ではヘヴィ系のギタリスト御用達ブランドだが、1980年代末はムーンなどと並んでコンポーネントストラトなど、本家とは一味違ったギターを製作し人気があった。


OKAZAKI

この曲はファーストアルバムの一番最初に録音された曲。世田谷の小さなスタジオだった。初めてという事もあり勝手がわからずエンジニアの比留間さんとディレクターの田中さんに言われるがまま進んでいた感じだった。
ドラムは全音色打ち込み。ハイハットに表情がないと指摘され横ちゃんと二人で強弱を作っていった。
(今思うとレコーディングスタジオで打ち込みの仕込みをさせてもらっていたと思うとは凄いことなのである。笑)
16分音符でジキジキ刻んでいるノイズはMIYO-KENのレスポールでエッジの効いた音を弾いてもらいサンプリング。
「サイレントフィアーズ♪」と歌の後にキュアーキュアーいっているノイズは何からか忘れたがサンプリングした音色をピッチベンドで遊んだもの。


DJ PEAH

この曲もLIVE盛り上がる。シーケンスの縛りがなく、NOISE関係は鍵盤でサンプリング叩いていました。PAD叩くのと同じですね。これもよくBPM変わることがあります。

TALK ABOUT…BACK TO BACK

KOICHIRO

中野サウンドスカイでのレコーディング。仮歌を入れてる時にボイトレの先生が見に来てくれて「教えた通り、出来てるわね」っていうSキャラの先生。先生の教えもあってか大分声が出るようになり満身創痍の状態でした。喉を痛めるまではの話・・・。そしてサウンドスカイといえば思い出すのが出前ですw 何を食べても美味しかった。そして歌詞を書きながらスタジオにあったジャスミン茶を全て飲み干したため、スタジオの方が、気を遣ってもうひとつポットを用意してく
れてた。そんな記憶ばかりです泣


MIYO-KEN

デビュー前にokazakiが知り合いからワゴン車を譲ってもらって、メンバーでお金出し合って機材車を持った。車種は何だったけかな?日産バネット?ハイエースではなかったのは確かです。

デビュー後もこの機材車を使ってたかどうか記憶が曖昧だけど、色はシルバー、サンルーフ付き。
このサンルーフが曲者で、雨が降ると傘さして乗ってたw
強めにブレーキかけるとサンルーフに溜まった雨水が漏れ出してきてさ。

いやいや、デビュー後も使ってたかも!
某メンバーの「インスタントラーメンであわやアパート全焼未遂事件」の時は
この車で彼の家まで行ったんじゃなかったっけ?

この事件の詳細はまたの機会にw

BACK TO BACKとは全然関係ない話。


OKAZAKI

この曲はファーストアルバムのレコーディングで録音された曲。最初はアルバム候補曲だったがRemix[3Remix +1]に収録。
生ドラム。当時のエンジニアHirumaさん所有のトリガーを使用しMix時に音色を追加。
「Back to Back!!」とコーラスをサンプリングしてAKAI S-1100に取り込み使用。これも当時のサンプラーの楽しみ方だった。間奏後半の声ネタもメンバーの声をサンプリングして使用。


DJ PEAH

この曲はライブ盛り上がりましたね。サビで私が手を振ったんです!そしたらアクションがかえってきたんです。それからというもの毎回やるようになりました。あと展開が変わるところがあり役割がきっちりしているので、わかりやすく盛り上がったのではないか!?

TALK ABOUT…VISITOR

KOICHIRO

VISITORとCUBIC SKYの2曲はユウジのモチーフを元に、それを膨らませていって歌詞を書いた。イントロのシンセとグラントビートのリズムルーブが時代を感じさせる。自分で詩を書いてて何だけど、ブレスが難しくてライブで苦労した。


MIYO-KEN

当時メンバーは学芸大学駅周辺に住んでいて、みんな徒歩圏内にいたんだけど
kajiwaraの家はダッシュしたら15秒で行けるご近所さんだった。
お互いアルバイト辞めてからは四六時中一緒に居たかもなw
俺は90年春に上京して風呂なし6畳アパートw だったんだけど、
kajiwaraんちは風呂付きだったので、ことあるごとに風呂も拝借してたな。

D2Nが出た頃には風呂付きに引っ越したw

ところで今も風呂なし物件ってあるのかな?

VISITORとは全然関係ない話。


OKAZAKI

ファーストアルバム[MASTERD]から。
この曲はBossのリズムマシンでKAJIWARAがデモで打ち込んだパターンをそのまま耳コピして横ちゃんのMacで打ち込んだ。
ハイハット音源はRoland TR606をAKAI S-1100に取り込み鳴らした。スネアは自分の生音では物足りずどこかのサンプリング用のスネアネタをプラスしたと思う。バスドラムは生ドラムとRoland TR909を両方サンプリングして鳴らした。


DJ PEAH

今やシングルCDないよね。WALK ON THE MOONのカップリング曲でBPMが反してスロー。
HIPHOPに近い印象を受けたし、スクラッ チのアレンジもスムーズに行えた。この曲もMUSIC VIDEOを撮影。CG合成とは異なり、照明を駆使して異空間の中、撮影したのを思い出します。

TALK ABOUT…WALK ON THE MOON

KOICHIRO

初のシングル曲。CALL MEを更に発展させサンプラーを全面的に使用 。Peahの加入により音楽的な幅も広がった。ブレークビーツ、スクラッチノイズなど、お腹一杯に音を詰め込んだ。
REMIXの必要性はこの頃、理解したんだと思う。歌詞はユウジが書いたけど「月の上を歩いた人類、次はどんな未来が来るのだろう」とみんなで想いを馳せていた。若かった。
computer apple Macintosh SE30
MIDI sequence VISIONかな?
sampler AKAI S1100,MPC3000
synthesizer Roland JD-800 MOOG MIDI-MINI
記憶が定かでは無いけど、アルバムのレコーディングで、やっとMacを使い始めた。サンプラーもアカイに格上げ。


MIYO-KEN

ブックレットにも書いたけど、CALL MEと同時期に作っていた。
正式にデビューも決まってそれまでの日常が目紛しく変わっていった。

アルバイト辞めて髪を染めたり(今じゃ普通だけど、当時は髪染めてるだけで賃貸契約出来なかったりアルバイト髪染めダメとか、反社的な扱いが普通だった)、新しい楽器買ったり。

デビューは心の底から嬉しかったな。実家に電話してもすぐには信じてもらえなかったけどね。
数ヶ月後に雑誌に掲載されまくるなんて、両親は1ミリも想像出来ななかっただろう。
勿論俺らもw。

と同時にアルバイト辞めれたのも同じくらい嬉しかったw

WALK ON THE MOONとは全然関係ない話。


OKAZAKI

CALL MEをレコーディングして少しずつだが打ち込みと生音の融合ってこういうことかな?
と手探りしながらもKAJIWARAが第二弾の曲を作曲してきた。あとでお話しするが一度デモを録音している。
そこで少しコツを覚えた的な感じで…ドラムは全部打ち込み、ドラムの音色選びとパターンを打ち込んだのは自分。
当時の打ち込みのパートナー横山和俊氏(以後、横ちゃん)とともに行った。スネア、バスドラム、ハイハット、全てRolandTR909をAKAI S-1100に取り込んでMIDIで鳴らした。確かこの頃から横ちゃんのApple SE-30でvisionという打ち込みアプリを使用していたと思う。


DJ PEAH

CALL MEと同時期に作成した。私にとって正式メンバーとして仲間に加えてくれたみんなに感謝しています。この頃何かが変わる、変えるみたいなメンバーの意識が強かった。すでに<DEMO>はできていたので、自分に今なにができるかを試すことができたと思っています。
WALK ON THE MOONはMUSIC VIDEOも撮った。メンバーになって、常にドキドキしながら初めてを体感しておりました。みんなも同じ気持ちだったんじゃないかな?

TALK ABOUT…CALL ME

KOICHIRO

始めてシークエンスを組んだ初期を象徴する曲。リハスタでは曲の5割程度のアレンジで残りは想像w
マニュピレーター横山君とリズム、シークエンスを打ち込んだ。ドラムはスネアだけ生で叩いて、後はシンセのプリセットかサンプル音。デジタルシンセで作った音は細かったけど、レコーディングエンジニア比留間さんの手腕とPeahのスクラッチにより想像を軽く超えていった。試行錯誤の繰り返しだったけど完成した時は感動した。
使用機材
MIDI sequence Roland MC300
sampler Roland S330
synthesizer Roland JD-800 YAMAHA EOS B500
サンプラーを使ってTR808 909やブレークビーツを鳴らすのはまだ先の話である。


MIYO-KEN

この曲をレコーディンした時はまだアルバイトしてたよな?
学芸大学の東口出たところの2階にあったゲーセン。もうとうの昔に無くなってるけど、確かkoichiroが辞めて俺が入ったんだよなw
まだバブルの余韻があったから時給もよかった。。

昼飯は東横線のガード下にあった「牛ゆう」(知る人ぞ知る牛丼チェーン、スタミナカレーが名物)のお弁当をよく食べていた。
このお店はメンバーも常連で夕飯時に行くと必ず誰かいたよな。
ここの大盛りは死ぬほどお腹一杯になった!
このお店と通路挟んで正面にあった「ジョージピザ」は俺らの「記憶のグルメ」ですw

CALL MEとは全然関係ない話。


OKAZAKI

メジャーでやらせてもらった最初の曲。全てはここから始まった。
生ドラムとElectricドラムの融合を試みた。スネアは生、バスドラムとハイハットはRolandJD-800、スネアと一緒になっているElectricスネアは…確かサンプリング。(ネタは忘れました)ウニョウニョいってるシンセベースはRolandJD800。
間奏後半になっているnoiseは掃除機音のサンプリングをLooopしている。
曲の終わり方はアナログテープに録音したものを手で止めてそれを録音した音。


DJ PEAH

DANCE 2 NOISE に収録された曲で私はまだ正式なメンバーではなかった。
この時私はHIPHOP DJとして活動をしており、スクラッチのできるDJを探しているという話があって、その仕事を引き受けた。初めて聞いた時BPMがHIPHOPよりも早く、そのBEATに早く馴染んで仕事<入魂>を終えようと考えていた。その甲斐あってPOP でキャッチーなステッカーを張れたんじゃないか!?と今でも思っている。レコーディング中みんな、そのサウンドステッカーを喜んでくれていたのがとても印象的でした。