TALK ABOUT

TALK ABOUT…真夜中の逃亡者

KOICHIRO

ロンドンに着いてもスタジオが空かないとか、エンジニアが決まってないとか出足から問題が多かったと記憶。数日観光した覚えがある、でも観光を楽しむ余裕は微塵もなかったなw

到着してすぐ遅いランチを食べに近くのパブに行った。この時はジェットラグがある人は行ってないかな?お腹が空いていた僕は、手書きのメニューにあったPIEという文字を見てそれを頼んだ、そして一口、ん?なんだろ?ん?口の中から強烈な香りが鼻まで抜けて行った・・・手書きのメニューを良く見たらKIDNEYとあったw肝臓の詰まったパイ!いきなりイギリスの洗礼を受け前途多難の予感しかしなかった・・・・orz

レコーディングが始まってからも、頼んでもいないレンタル楽器が山のように届いたり、スタジオエンジニアの交代などアクシデント続き。途中から参加したエンジニア、スチュワートブルースは非常にユニークな人で、レコーディングがスムーズに進むようになった。良き思い出となっ たのはスチュワートのお陰である。
レコーディングを海外でする意味は色々あるけど、日常から離れて集中できる環境としては一番だと思った。歌入れも今までとは違いリラックスして望めたのは何より大きかった。

「vibES」に収録されてるものとは別に存在したマイクスパイクのミックス。発表出来なかった事が非常に心残りだったので、ほんと嬉しい。
何が大変だったかって「vibES」の歌詞は全てロンドンで書き下ろした事だろう。


MIYO-KEN

ちゃんと確認してないけど、メンバーみんな初の海外だったんじゃないかな。
俺に至ってはデビューするまで国内線でさえも飛行機に乗った事が無かったし、新幹線だって高校の修学旅行以来だったと思うw

渡英前日の夜は忘れ物がないか入念にチェックしている筈なのだが(勿論持ち物リストは作っている)、みんなもそうだと思うけど当日朝もトランクを開けてチェックしたw

そんな中事務所のお迎えがやって来て、いざ鎌倉!ならぬ、いざ英国!な感じで期待と不安で一杯になりながらワゴン車に乗り込み、途中でメンバーを拾って成田国際空港へ。

空港には沢山のお見送りのファンの子たちがいた。
これを読んでる方の中でも「行きました~!」な方はいらっしゃると思いますw
今も昔も絶対レコード会社の誰かが情報漏らしてるとしか考えられない(違ってたらごめんなさい汗)、逆に誰~も来てくれてなかったら寂しすぎるから全然良いんだけどw

カート押しながらエスカレーターに乗るのめちゃ怖かった、何せ初体験なのでどこに車輪を乗せて良いか判らない、、ここで怪我なんぞしようものならと思うと、必死にカートを押さえていたのだった。

機内はわりと混んでいたと思う。

ブリティッシュ・エアウェイズだったので(多分、2度目の渡英はJALだったはず)スチュワーデス(世代的にはこちらの名称のほうがピンときます)は外国の方。
「Beef or Chicken ?」だったか「Beef or Fish ?」なのか記憶は曖昧だけど、これ聞かれた時に改めて憧れのイギリスに行くんだな~って実感したり。

13~14時間かかったのかな、お酒も飲み放題だったし、当時はタバコも吸えたので飲んで寝ての繰り返しだったような。。


OKAZAKI

産まれて初めての海外だ。渡英するのは夢だった…。実は大きな節目に来るとある事なのだがこの時もそうだった。そうレコーディングで渡英するのは数ヶ月前に夢で見た。
正夢になった。
この曲のリズムは全て打ち込み。S-1100を使い倒したw。イントロの「Watch
Out!!」は通訳でいらしていたミミさんというイギリス在住の方にお願いしてそれをサンプリングしMixでフィルター処理をしたものだ。潜水艦のような「ポーン」という音はネタからのサンプリング。「ジギジギ」いっている16 音符の音源の元は忘れたが、リアルタイムでKAJIWARAがフィルターをイジりながら録音していった。Aメロの高音のリフはギターを当時の最先端エフェクター「ワーミーペダル」で2オクターブ上げて弾いたものだ、今聴くとサビの後ろで「ah~」ってコーラスが重なっていてちょっと怖いww
そうそう、Liveではドラムにトリガーを付けてサンプラーを鳴らしていたのも2nd以降だ。面白かったのはバスドラムはなく自宅練習用のペダルにトリガーを付けてサンプラーの音だけで成立させていた。ツアー中のことだ、そのペダルが折れてしまった!しかも地元でのLiveだ。確かアンコールで「Silent Fears」。オレはとっさにフロアタムで回避する。なんとか事無きを得たがバンドアンサンブルを崩してしまったのではないかと不安でLiveが終わった。するとKAJIWARA が「かっちゃん。今日のSilennt Fears 途中からフロアタムになったけど斬新で良かったよ!」っていう嬉しかった思い出♫


DJ PEAH

今回vibESに収録されているバージョンではありません。当時スチュワートかマイクスパイクか意見が別れましたね。でもこうして未発表だったバージョンをお披露目できたことは素晴らしいことです。感謝しております。今でもかっこいい。コーラスがよくわかります。

TALK ABOUT…I’LL KEEP ON HOLDING ON

KOICHIRO

初のカヴァー曲。何故この曲??って最初はずっと思ってたけど、もう原曲がどうのっていう次元じゃないくらいの違うアレンジになって途中から楽しめたw ミニアルバムではこういう事が出来る意味を知った気がします。
この曲かどうかは忘れたけど、ディレクターの田中さんが「ミヨケンのギターは考えてきたのより、その場で弾いた方がいいよな」って言ってたのが印象的だったw
関係ない話、ミヨケンがLast tempのコメントでレンタルビデオに行った話をしてて、一緒にいったのは覚えてる。ってか全員で行った?誰かアダルトなやつを借りるとか借りないとか、そんな記憶wあくまでも素材ですよ!粗材www
しかし釣りとかの記憶はない・・・いったい自分は何やってたんだろ!?


MIYO-KEN

レコーディングって、リズム、ベース、ギター、シーケンス、歌ってのが所謂定石な順番なんだけど、俺らはバンドの性格上必ずしもこれには当てはまらなかったけど、何方にせよレコーディングの最終工程はミックスダウン。
前途の音たちをカッコよく混ぜ合わせてテープにダビングする作業です。
基本、エンジニアが作業して出来上がったら俺らが聴きにいくパターン。
丸1日かけて作業して聴けるのは1曲、それくらい神経を使う作業。

俺らにしてみれば仕上がりを楽しみにしつつも、聴けるまでの時間は自由な訳で、初夏というには若干季節が追いついてなかったけど、そんな観音崎を各が満喫してた。

ビクターからデスクのお姉さんが差し入れ持って遊びにきたり、みんなで潮干狩りしたり。

そんな中、事件は起こった。。
事件という程でもないか、、

kajiwaraはこの時間を利用して釣りに出かけた(peahも一緒だったかな?)
結果何匹か釣って帰って来たんだけど、その中の一匹、オコゼを釣り上げた時にどうやら手を刺されたらしい。。
その手は真っ赤に腫れ上がり見るからに痛そうである、、
「レコーディング終わっててよかったじゃん!その手じゃベース無理だな!!」
おいおい、大丈夫の前にそっちかよww
いやいや、最初に「大丈夫??」って聞いてたよな、俺らw

彼の釣り上げた魚は賄いの料理長により、美味しい天ぷらになりました!!


OKAZAKI

ディレクターさんのアイディアで収録。自分は全く知らないアーティストだったが知らないから面白かった、何せこの頃はまだアイディアも乏しく知っている曲だったらあまり代わり映えせずに世に送り出していたと思う。カバーのあり方を学んだ曲である。
バスドラムは倍音深めのTR909だっただろうか。スネアは左右に分かれている、そうだ左右別のパターンを考え作り込んだのである。これも面白かった。
これも観音崎のスタジオで収録。


DJ PEAH

原曲はMotownRecordsのマーヴェレッツです。その後イギリスのThe Actionがカヴァーし、さらに我々がカヴァーいたしました。 ジャンル違いでもカヴァーできる醍醐味を知った。いやーアレンジっホントにいいものですね!さよならサヨナラさよなら!(水野晴郎と淀川長治のMIX)

TALK ABOUT…LAST TEMPTATION

KOICHIRO

somedayと同じくホテルの部屋で歌詞を書いた。この曲辺りから自分が書きたい歌詞の方向性が見えてきた思い入れの深い曲。
86年にチェルノブイリ原発の事故があり次に古い原発が東海原発だって事実に突き動かされるように歌詞を書いた。原発をモチーフに歌詞は書いてるけど、それはあくまでも時代背景であって、そこに自分を投影した内容になってます。重いテーマの歌詞は誤解を招きかねないと思い、当時は歌詞についての説明は控えていたし、捉え方は聞く人が決めればいいと思って書いてました。でも今は遠い昔の話。歌詞について覚えてる範囲で色々書いていこうと思います。
で結果的に、この曲はアレンジと歌詞のテーマが見事に合致した作品に仕上がったと思う。

reunionを決めて最初に着手したのもこの曲、自分も含めメンバーが納得してくれなけば参加するのは止めようと考えていた。でご存じの通り、reunionに至った訳です。
完成度の高い作品に仕上がったlast temptation早く皆さんに届けたい。
The last temptation of nuclear
実は誰にも言ったことがなかった最初のタイトル。


MIYO-KEN

ミックスがあがったときは感動したなー。今でも大好きな曲のひとつ。

レコーディング中にvoice系(セリフや叫び声など)のネタが欲しくなって観音崎の駅前?そんな駅ないか、、多分京急の浦賀駅だったかな??
商店街のレンタルビデオ←懐かしい響きw に出向いて何本か借りた。
良さげなセリフをサンプリングして曲中で使ったかも。
本当は著作権法に引っ掛かるからダメなんだけど、音を加工してバレないように使うってのも当時の制作過程において大事なポイントのひとつだった。
夜の商店街を歩いてふと出てきたメロディー、「♪ここは~横須賀~」
若い子は知らねーかw


OKAZAKI

打ち込みのリズムが楽しくて仕方がない頃だ。だって自分がパターンを考えて打ち込めば自分のドラムになる!って言っていた頃だから(若)
言っている通りで、基本メインのリズムは自分で叩けないパターンは打ち込んでいない。この曲で面白いのはシンバルだけ生でレコーディングしている。
曲の最初から最後まで、ただただドラムセットのないシンバルしかないところで叩くのである。滑稽であることも面白さに変えていった頃だ。
スネアは3音色をミックスして作った。バスドラムはネタCD からサンプリングしてこれも2~3音色のミックス。ハイハットの音色は記憶にない。
この頃はステップシーケンスとリアルタイムでの打ち込みを多用している。特にハイハットワークなどはステップで打ち込むと予期せぬ良いアクシデントが起きるものだった。楽しい。。そう音を楽しんでいるのである。あと面白かったのは
横ちゃんに「チキチキチーチーチッチキチキチー」と言葉で伝えて打ち込んでもらう方法。あえて強弱は横ちゃんに任せるのだ、すると横ちゃんも楽しんで強弱を付けてくれていた。


DJ PEAH

ミクスチャー要素が詰まったM AGEのスタンダードな代表曲。そんなイメージある。ドラムLOOP が多いけど、 LIVEでは違 った形で表現しています。陰と陽が重なり合う曲。

TALK ABOUT…TEARS

KOICHIRO

アルバムレコーディングと並行して行われた、Call meのMVの撮影時のこと、初めてのMVの撮影、埃っぽいスタジオで口パクではなく本気で歌ってた苦笑。終わった頃は明るくなっていた。暑い日、部屋に帰ってエアコンかけたまま爆睡し起きたら声がでない・・・喋り声さえでなかった。慌てて専門医にいったら、相当喉が腫れていて、歌を歌うなんて言語道断、1週間は安静にと怒られました。お陰で歌入れを延期せざるをえなくなり、相当へこみました。mustardにこの
曲が収録できなかったのはそのせいかもしれない・・・そのせいだな・・・まあ時効ってことで;;

で肝心の歌に関して、レンジが広くアルバム中一番低い所から始まる曲で当時は相当難しく感じた。意図した訳ではないけど、歌詞の内容と自分がオーバーラップする辛い記憶の曲。ライブでの再現も難しく一度も披露したことないかも知れない。この曲は近いうち落とし前つけなきゃ!


MIYO-KEN

大黒埠頭で夜中から朝方にかけてMV撮影したのかな。
靄が出るように水撒いたりして、スタッフは大変だったと思います。
ありがとう!

ブックレットにも書いたけど、『MUSTARD』の締め切りに間に合わずカップリング収録。
記憶が曖昧だけど、リズムラインを作るときにいろいろと試したんだけど、最終的にデモを作る時に使ったBossのDr.Rhythmのパターンをそのまま使ったんじゃないかな?
ギターは発売されたばかりのデジテックワーミーペダルをこれでもかってくらいに使い倒してます。今は誰でも使ってるので使わないw


OKAZAKI

紆余曲折して出来た記憶。バスドラムはTR909かTR606。あ、Bossのリズムマシ
ンだった気がしてきた。ベースと同じタイミングで出てくるリズムはRoland JD-
800。
ハイハットとスネアはTR606。
今聞いてもこの曲はどうしてこういうリズムにしていったのか記憶がない…。ただ言えるのは唯一無二ってことだろうか。だって1拍目にバスドラムがない…笑🥁


DJ PEAH

後半のギタードラムが加わってくる所が個人的に曲の未来性を感じます。LIVE ではコーラスどうなる?みたいなこともあり、まだお披露目していませんがアレンジ変えてでも是非やってみたい曲です。PVも撮影しました。深夜から日の出にかけて、寒かった?よく覚えていません。常に私短パンですから 野外の撮影は新曲でもやりましたが、撮影中このTearsを思いだいました。

TALK ABOUT…SOMEDAY CLOSE YOUR EYES

KOICHIRO

みんなで待ち合わせてスタジオに向かう筈が、寝坊して大遅刻・・・1人電車で観音崎まで向かうのが寂しかった思い出である。この頃からレコーディング中に歌詞を書く程忙しくなった。みんながスタジオで作業してる頃、ホテルの部屋で歌詞を書いてたんだけど、気になって昼はほとんど書けなかった。ちょいちょい覗きに行く度、想像もしてかなかったアレンジに変わってた。難しかったのが、フワァ~っとしたネオアコ的メロディーなのに対しリズムはブレークビーツが何種類も鳴っててリズムが取りにくかった記憶がある。2ndアルバムには、リテイクしたバージョンが入ってて、全く違うのもこのバンドならではだ。2021年はどんなバージョンになるのやら。


MIYO-KEN

キュートメンと全国回ったC-CUBEが終了したのは92年の春先だったと思う。
この時点で7/21にシングル、マキシシングル、ビデオを同時リリースするのは決定事項だった。
休むまもなくシャカシャカデモテープ(CRISIS参照)を作るべく、各人が自宅に籠もって作曲を開始した。

とはいえ、雑誌の取材、ラジオなどは定期的にある訳で、なんとか時間をやりくりしモチベーションを落とさないように全員が努力してたと思う。

5月の連休明けからスタジオ入ったのかな。
新代田にあったスタジオでループ素材を作って曲の骨格を仕上げてから観音崎に行ったのかも。

あそこのホテルは別名、不○ホテル、逢○ホテルで通ってたからな。
ホテルの名前は言ってないからね!!
まだまだ暑くないのにスタジオから丸見えのプールで訳がありそうな恋人風w
男女が戯れてたしな。

スタジオロビーのガラス、スモークかと思ってたら違ってたのに全然気づかなかった。
何で気づいたかって?

ホテルから苦情が来たのよ、「変な奴らがガラスに張り付いてこっち見てて気持ち悪い!」ってw

スタジオの一階が俺らで、地下がマッドカプセル。
マッドのメンバーもガン見してたと思うけどw


OKAZAKI

このテンポ感がたまらない♪ベースのハイポジションフレーズを意識しだしてから1番フューチャーされた曲だろうか。4四分音符のリズムパターンばかりだけではと幅を広げたくて広げたくて、ちょっと80’sに時を戻してリズムパターンを作ったような記憶。神奈川県の観音崎のリゾート地で録音されました。
春先、ゴールデンウィーク前後だったかレコーディングが終わる頃にみんなで潮干狩りをしたり釣りをしてKJIWARAがオコゼに刺されて指を腫らした記憶がある。
その日の夕飯にそのオコゼを食したのは言うまでもない。


DJ PEAH

シングルで発表したバージョンです。MUSIC VIDEOも撮りました。サビメロがとてもPOPでメローです。この曲はいくつかバージョンがあります。私は個人的にアルバムバージョンが気に入っています。実際CLUBで選曲することもありました。セカンドアルバム< vibES >に入っていま すので気になる方はそちらもチェックしてみてください。

TALK ABOUT…UNDER THE CUBIC SKY

KOICHIRO

ユウジの「Cubic sky」ってういモチーフに「紛争と平和」というテーマで僕が書いた。今見ても恥ずかしくない歌詞だと思う。と過去の自分を褒めてあげたい。ファーストアルバムは作曲者と曲のイメージについて良く話してたと思う。その中でも1番ユウジとは歌詞についての話をした記憶がある。


MIYO-KEN

オリジナルは『MUSTARD』に収録。

1stアルバムは91年の夏から秋にかけてレコーディングした。
もちろんスタジオワークのイロハも知らない訳で、聞く事、見る事全てが新鮮だった。今でも新たな発見はあるが、当時のそれと比べると感動指数はそれ程高くはない。
いろんな洗礼も受けたし、上手く出来ない自分に苛立ったりしたけど、毎日のように通うスタジオが嬉しくて、毎晩明日のことを考えると楽しみでしかなかった。

アルバム全曲、マキシシングル収録の曲も全て録り終えて、ミックス初日の感動は忘れられない。録りもミックスも比留間さん(BUCK-TICK等でお馴染みの日本でトップクラスのエンジニア!)にやって頂いたのだが、磨き上げられたその音の感動は筆舌に尽くし難い!!

現在のPC内で完結できるようになるには、その後10年以上の歳月を経た後の話であって、マルチテープを1曲毎にセットし、完成したら別のテープをといった具合で、テープを変えるというのはその曲のセッティングをバラすという事で、意味するのは二度と同じ音は作れませんという事。
「バラすよ?OK? ほんと大丈夫?」てな具合で確認しあってた。
トータルリコールって言葉は当時からあったけど、事実上は到底無理な話だったな。

大きな達成感と共に完成したアルバムだった。


OKAZAKI

リミックスって凄い!何を演っても良いんだ!♪って思った曲。原曲も大好きだ
が、角度を変えて物事を捉えるっていうことを学んだ。
メンバー以外の第三者の方がこの曲を感じてコラージュしてキャンパスに描いていく…音楽でもこんなことが出来るんだって思った。


DJ PEAH

今ではALL GENRES PLAYするDJ業界ですが、当時この曲を聴いてDJPLAYしたいと思えた曲です。今でも使用したい。自身のバンド曲をPLAYできる幸せを改めて痛感しております。

TALK ABOUT…ENOUGH FOR THIS

KOICHIRO

イントロのブレークビーツはPeahのお仕事。その後にはない皮肉っぽい歌詞と雰囲気が 、個人的に好きな曲。ブレークビーツから歌が始まる直前に生ドラムに挿し変わるのは当時でも斬新だったと思う。コーラスアレンジでも遊んでいて、いろんな人にコーラス参加してもらった記憶がある。


MIYO-KEN

[ロレックスしてる警官なんて信じられっか!!]事件

kajiwaraの家の隣のアパートの一階に住んでいたおじさんの話なのだが、表札にはなんと『井上陽水』とあって(これって凄くね?もちろんご本人様である訳ないし、本名でもないw)、まあなんというか、暑くなりはじめの季節になると、夕日が落ちる頃に軒先に出てはお酒を煽って道ゆく人々に絡みだすという、愛嬌?のある方だったのだが ^^;

そんなお方なので問題を起こした翌朝は、大概目黒郵便局の隣の交番の前を掃除していたw
俺もいちどトラブルに巻き込まれた事もあるのだが、それはさておき、お隣の『井上陽水』事件簿のひとつをご紹介。

とある日曜日に、kajiwaraの家にokazakiが遊びに行ってた時の話。
あいも変わらずお隣の『井上陽水』さんは、日曜をいい事に昼からお酒をかっくらっていました。道ゆく人がいなくても、そういった方々は勝手にボルテージが上がっていくわけで(北の国からジュン風に)。

そこで二人は、まあご近所の迷惑も考えてみてだと思うけどw
「隣で騒いでる人がいて怖くて外に出れません!!」と、お巡りさんを呼んでみたと。
「ミヨさん、おもしれーから早く来なよ!」と電話をもらったのだが、ちと出遅れてしまった事を後悔してる、、

二人はこっそりと玄関のドアを開けお隣の様子を伺っていた。

程なくして数名のお巡りさんが現場到着。
状況確認、泥酔者1名。訳のわからない事を大声で喚き散らす、通報通り。

けど思うんだけどさ、お巡りさんも目黒郵便局の隣の交番から駆けつけてる訳だし、お隣の『井上陽水』さんも何度もお世話になって散々迷惑かけてるはずで絶対顔見知りでしょ?

お巡りさんもいつもの事かと宥めていた訳で。。
しかし、お隣の『井上陽水』さんは全く聞く耳持たずだったらしい、、

俺も聞きたかったよー!!

そこで出るか、普通w

「ロレックスしてる警官なんて信じられっか!!」

いやいや、絶対してねーよw
そりゃお巡りさんも爆笑だよな、、

今はkajiwaraの住んでたアパートも、お隣の『井上陽水』さんちもありません!
近くの駐車場にたまに車停めるので確認済み。。

ENOUGH FOR THISとは1ミリも被らない話。


OKAZAKI

今回、自分作曲唯一の曲。と言っても当時の自分は全くアレンジ力がなくみんなの助けを借りてやっと出来たって曲。メンバーってありがたい(涙)
イントロのリズムループは有名な音ネタ、「Rock’n’Roll!!」って言ってるのはベッドミドラーのヴォイスサンプルをローピッチで出力している。
この曲の面白さはイントロはサンプリングループ、歌の直前で生ドラムのフィルに切り替わるっていうところだ。


DJ PEAH

BACK TO BACKとBPM同じくらい?この曲はアーメンブレイクをフューチャーしており、DJのブレイクビーツと生の演奏が交わる感じが好きでした。一時流行ったBIG BEATにも思えてくる。LIVEではシーケンスがないのでクリックの縛りがありません。たまにテンション上がってBPMが早くなってしまうこともあったなー。

TALK ABOUT…CRISIS

KOICHIRO

ファーストアルバムでは生ドラムって3曲位?バンドのドラマーなのにドラムを叩かなくても成立できたのは、当時かっちゃん位じゃないかな?そんなかっちゃんの生ドラム曲。
歌詞についてcrisisとwonderはなんの説明もいらない位ストレートな内容になってます。
この曲は「欲望」とか「危機」がテーマ。恥ずかしい位に青いですが、歌詞の書き方についても模索してる頃でした。ライブではテンポが遅い違うバージョンも存在した。


MIYO-KEN

メンバー誰ひとりマルチトラックレコーダーとか持ってる分けもなく(4トラック、カセット)デモテープはエレキギターをシャカシャカ弾きながらラジカセに録音する原始的なものだった。
住宅事情的にアコギなんぞはもってのほか。ものすごくシンプルなシロモノだったが、夢と情熱は溢れるほどに詰まっていた!それらのテープを持ってスタッフ含めてミーティングを重ねて収録曲を決めていった。そういったものから想像力をマックスまであげて、仕上がりを見据えていたわけだ。

そこまでできるディレクターって今の世の中相当少ないと思うな。

オケ、歌、80%完成されてるデモだったらそこそこの知識と経験があれば誰でも判断できると思うけど。べつにディスってる訳じゃなくw

CRISISとは全然関係ない話。


OKAZAKI

100%生ドラム。他の曲とは違い打ち込み間奏にちょっぴりあるくらい。Liveを意識したのだろうか…。
それとも打ち込みだけでは無いんだオレたちは!って訴えたかったのか…笑
この曲があったので[Back to Back]は3Remix +1に収録されたという記憶。


DJ PEAH

レコーディング時D. かっちゃんがドラム叩いてるのを思い出します。この当時からクリック聞きながらだもんね。この時スタジオでサンマ定食をよく食べました。梶原さんが魚を上手に食べていたのが印象深い。

TALK ABOUT…MIND WAR

KOICHIRO

作っている段階から4つ打ちのハウスやEBMを意識していた。僕とマニピュレーターの横山君でリズムトラックを作り、初めてみんなに聞かせた時の、微妙な表情は今でも忘れられないw
そんな心配を他所にミヨケンのギターリフ、リズムループの多用で全ての不安を払拭できた。アルバムではいいフックになったと思う。この頃には明確に909、808のサンプルを使うようになった。アナログシンセを使ったベース音をリアンプし単なる打ち込みにならなかったのは流石、比留間さん!!今だから言いますが 僕はムーグのベース音が嫌いですw
喉を痛め復活した直後にレコーディングした曲。生まれて 初めて声が全くでないって経験をした。医者には「口も聞くな」と言われ、相当ショックを受けたし、プレッシャーも重くのしかかってきた。元々、葛藤がテーマの詩だったけど、喉を痛めた事により重みが増した気がする。


MIYO-KEN

デビューが決まりいろいろな打ち合わせがあって日々忙しくなっていったのだが、そういった日は必ず飲みに連れていってもらった。
その中のひとつのお店が原宿のハーフムーン。(現在も営業中)
そこで食べた缶詰が今も忘れられない。恐るべし味覚の記憶w
熊缶、トド缶、etc、、なかでも熊缶が強烈だった、、中身の半分は生姜、、想像できるよね?
翌日のゲーセンのバイト、死んでた思い出。

この曲のギターリフは現場でぱっと出てきた。良きリフ!

MIND WARとはほぼ関係ない話。


OKAZAKI

ドラムは100%打ち込み。TR808、TR909をサンプラーで。
この曲は自分のリズムパターンというより横ちゃんとKoichiroがテクノ好きで意気投合したので、それならその方が絶対にカッコいいものが出来ると進んでいった記憶。
イントロのプリープ音はネタは忘れたがサンプリングルーブ。この辺りからかサンプルリズムネタ等で[Meat Beat Manifesto]の作品から拝借したものも出てくる。
シンセベースは横ちゃん所有のMini Moogである。かなり硬派な音色で個人的も好き。


DJ PEAH

MINIMOOGベースがが心地よいELECTRONIC BODYな曲、 Vo コーちゃんの得意分野ですね。横山和俊氏のシンセが完璧です。またチョイスしたブレイクビーツもベストマッチ。

TALK ABOUT…SILENT FEARS

KOICHIRO

アルバムの一曲目に相応しい曲。全てを飲み込む破壊力のあるギターとノイズサンプルの嵐。そして実は抑揚のあるメロディーラインは実にミヨケンらしい 。残念だったのはミヨケンが書いてきた歌詞のメモが汚くて読めなかったことw当時の歌詞は全て手書き。奇しくも今の時代にあった歌詞のように思う。


MIYO-KEN

たいした機材を持ってるわけもなく、アンプ等はレンタルしてもらっていた。
当時Hook Upにいた峰守さん(現MASTER TONE、数々の有名アーティストのレコーディングをサポート。この世界では知らない人はモグリ)にいろんなアンプを持ってきて頂いた。

その後購入する事になるのだが、そのアンプはプリ管をマーシャル、ソルダーノ、メサブギーとサウンドのキャラに分けてチョイス出来て、ループも何系統かあってそれらをプログラムできるというかなり自由度が高いものだった。この曲ではソルダーノタイプを使用したと思う。

ギターは以前から使用していたシェクターのストラト(アンディーテイラーモデル、デュランデュランw)を使用。シェクターは今ではヘヴィ系のギタリスト御用達ブランドだが、1980年代末はムーンなどと並んでコンポーネントストラトなど、本家とは一味違ったギターを製作し人気があった。


OKAZAKI

この曲はファーストアルバムの一番最初に録音された曲。世田谷の小さなスタジオだった。初めてという事もあり勝手がわからずエンジニアの比留間さんとディレクターの田中さんに言われるがまま進んでいた感じだった。
ドラムは全音色打ち込み。ハイハットに表情がないと指摘され横ちゃんと二人で強弱を作っていった。
(今思うとレコーディングスタジオで打ち込みの仕込みをさせてもらっていたと思うとは凄いことなのである。笑)
16分音符でジキジキ刻んでいるノイズはMIYO-KENのレスポールでエッジの効いた音を弾いてもらいサンプリング。
「サイレントフィアーズ♪」と歌の後にキュアーキュアーいっているノイズは何からか忘れたがサンプリングした音色をピッチベンドで遊んだもの。


DJ PEAH

この曲もLIVE盛り上がる。シーケンスの縛りがなく、NOISE関係は鍵盤でサンプリング叩いていました。PAD叩くのと同じですね。これもよくBPM変わることがあります。